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2007年9月28日 (金曜日)

川から見た江戸・東京

ヴェネチアに比すべき水の都は埋め立て

高速道路で面影もなく

「君の名は」で有名な数寄屋橋の下に堀川が流れていた頃は知りませんが最近の中越地震でも被害住民は「何といっても水が出ないのが一番辛い」口を揃える

水なしでは人間は一日も生きられない

時代を遡ると今よりも遥かに広い意味で水の道は人間にとってのライフラインだった

家康による水路の整備

江戸入府後の徳川家康が先ずやったことも

江戸住民の上水道の確保と物資の流通路としての水路の整備

平川・道三濠・日本橋川と繋いで船荷は直接江戸城まで届くように

さらに日本橋から隅田川へ出ると川向こうかの小名木川や竪川がそれを受け

東にたどれば荒川や江戸川の河口

そこから北上し関宿から利根川に上れば銚子で太平洋に出る

江戸古地図を見ればなるほどまさしくヴェネチア

しかしこの姿は江戸で終わらない明治でも

交通案内は先ず船便から始まる大学生だった明治の文豪

夏目漱石の房総旅行の船と徒歩

霊岸島から船で保田に入り陸路を北上

銚子へ出て利根川を遡り関宿から江戸側を南下して東京に戻っている

漱石の姉達の芝居見物も飯田橋から船を利用

神田川を下って隅田川を北上

吾妻橋を潜って芝居町猿若町へ向かっている(『硝子戸の中』)より

大正に入って

日和下駄に蝙蝠傘・江戸切絵図を懐に東京の街を散策し続けた永井荷風も

「水は江戸時代から継続して今日においても東京の美観を保つもっとも貴重な要素」と断言している(『日和下駄』)より

同じ頃三越デパートが宣伝で公募した狂歌の当選作が

「新橋と上野の中の呉服店、いずれかでも川を三越」

その後関東大震災・戦災・それに戦後の高度成長期を経た今は

三越の北に神田川南に日本橋は残っているものの

「いずれからも川を一越」である

昭和25年前後から埋め立てられ

ついで東京オリンピック

都市景観など蚊帳の外自動車社会を抱え込み

公共河川の上に自動車用道路を張り巡らして

「車お断り」ヴェネチアとは永久に袂を別けたのです

もう道三濠もなく京橋川もなく八丁堀もない

高速道路で蓋をされ

辛うじて残っている日本橋川

川に天井が開放されれば

「薄化粧ほど初霜の乙女橋」などと詠まれた風情が復活することを願います

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投稿: magazinn55 | 2007年9月28日 (金曜日) 午前 08時00分

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